配志和の森さんぽ見出し画像

山神社(産神社)

岩山芳憲

「御室焼き」で燃え盛る産屋の写真

<写真:「御室焼き」で燃え盛る産屋の>

 配志和神社御本殿から北に四社離れて、鞘堂(さやどう)の中に石祠石像が祀られています。木花開耶姫(このはなさくやひめ)をお祀りした産神社です。お産の神様なので産神社とも、女性の神様なので俗に山の神様(家庭の主婦を指す)の山神社とも呼ばれています。

 日本書紀では、この神様は大山祗神(おおやまつみのかみ)の娘で、木の花の咲き乱れる如き絶世の美女で、天孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に見初められます。父の大山祗神(おおやまつみのかみ)は喜んで応じて、醜いが長久の特質を持つ磐長姫(いわながひめ)という姉と一緒に献上しましたが、天孫は醜い姉を帰し木花開耶姫だけを妻とします。一夜で妊娠したところ疑惑を持たれたため、身の潔白を晴らすべく「天神(あまつかみ)の子ならば無事に産まれ、疑われるような国神(くにつかみ)の子ならば無事には済まないであろう」と宣言して、出産の時に出口のない産屋にこもり火を放ち火中で無事に三柱の御子を出産し、疑念を晴らしました。

 これが配志和神社『御室焼き(おむろやき)』特殊御神秘行事のいわれです。

 ちなみに火中で生まれた三神のうち二神が海幸彦、山幸彦であり、山幸彦の孫が初代天皇として即位した神武天皇で、平成の今上天皇は百二十五代になります。



産神社の写真

<写真:産神社>

 このような由緒から古来より安産の神様として、また女性の守護神として広く信仰されて来ました。堂内には赤い小さな枕が沢山奉納されています。これは、出産の時に赤ちゃんの枕として一つを借りて、無事に出産したら二つにして返すといわれている枕です。

 夫の瓊瓊杵尊とこの神様と皇祖高皇産霊尊の三柱の神様が配志和神社の御祭神です。

 毎年三月十二日には、各地の産神講という講中から代表者(代参者)が集まって参拝する産神講中祭が行われています。



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