境内のたたずまい
従前の様子
写真1
神社へは北側から進みます。公道から境内を見た様子です
社殿の向こうの建物は集会所です
社殿と手前の公道との間には大きなケヤキ(槻木ともいう)の切り株が残っています
この付近には、近年まで更に大きな槻木がありました
昔、地主別当の屋敷(旧御伊勢堂屋敷)にとても大きな槻木があったと言われています。現在の管理者の屋敷西隣に当たります
太さは、13人が手を繋いで一周するほどのものだったと伝えられています
国道4号と国道342号の交差する大槻という地名や、我が国最初の辞典『言海』を編纂した大槻家の姓は、この槻木に由来するものと言われています
左の通路(参道)を南に進みます
写真2
参道を少し進むと集会所間際で分岐し、写真左の参道を進むと、社殿とその周囲の石祠群を正面に見る事が出来ます
本殿は南向きに建てられています
この写真では社殿は右側面です
元は山神社の左脇にあった「御神馬」もここに移されています(社殿の後)
昔あるとき、難産に苦しむ者がいたそうです
胆沢郡(現在の奥州市)のある所に大層腕の良い産婆さんがいるというので、この近辺で最も早い馬を走らせて迎えにやらせました
そして無事に出産できたので、感謝の祈りを込めて神馬像を奉納したと伝えられています
写真3
本殿の屋根は、平成6年10月に葺き替えられました
本殿の正面には集会所が間近に建っています
これは左側面の様子です
鈴はありません
写真4
社額は新調されました
元は集会所の南側にあった境内社「山神社」も一緒に祀られるようになりました
写真5
右の通路が参道です。境内を南端付近から撮影しています
この集会所は「中道公民館」といい、この地区の皆さんで維持管理しています
境内には多数の杉の木がありましたが、周囲の宅地化により苦情が寄せられ、やむなく伐採されてしまいました
伐られた材は薪として利用され、近い内に静謐な境内に戻る事でしょう
写真6
集会所と杉材の間には、石祠が建ち並んでいます
本来の参道はこちら、南側から進入するものでした