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治水移転社

小野寺啓

 北上川遊水地で水没するため、神社境内に移転してきた神々が居られる。いずれも中里地区から昭和六十二年に移転新築された社である。

<写真:細谷の旧日吉神社(下左) 下大林の旧観音堂(下右)>

細谷の旧日吉神社の写真 下大林の旧観音堂の写真

 日吉神社は、本殿左側にあり、細谷にあったものである。安永風土記の細谷村の記載によれば、小名要害の観音堂とある。天保六年(AD1835)に千手観世音菩薩像を開眼供養している。この仏は田畑の虫害、妊婦の難産を救い、夫婦和合の願いを叶えてくれるとして信心された。



現在の日吉神社の写真

<写真:現在の日吉神社>

 明治の初期、大山昨命(オオヤマクイノミコト)の分霊を勧請し、日吉神社に改めた。いろいろのご利益があるとされたが、特にイボの治療に霊験あらたかで、本堂に奉納されてある松イボを借用して持ち帰り、患部をこすって治れば、お下げして風呂にたき、新しく松イボを採り二倍にして返すので、沢山のイボが納められていたという。祭日は、昔は正月、五月、九月の十七日であった。この日には配志和神社の宮司によって祭礼が執り行われていた。

 破揖してはいるが、文政十三年建立の五重石塔は、遊水地内唯一の層塔である



現在の浅間神社の写真

<写真:現在の浅間神社>

。 浅間神社は、日吉神社に並んで左奥に鎮座なされている。風土記では小名下大林にあり、やはり観音堂と呼ばれた。本尊の一つは木造如意輪観音坐像で、六道の衆生の苦しみを取り去り利益を与えてくれる菩薩である。六道とは、衆生が善悪の業によっておもむき住む六つの冥界、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天を指す。

 もうひとつは子安観音で子供を抱えている。安産・子育ての仏である。昭和初期に分霊を勧請して浅間御社とした。

 木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)が祭神と思われる。祭日の正月十五日はもとより、牛頭天王(コズテンノウ)社祭日の六月十五日には、配志和神社宮司の祈祷の後には、神輿が部落を回り平安を祈願し、終着の民家では獅子踊りが催されていた。



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