配志和神社参道からいよいよ山域に入ろうとする所に、この春に寄進された ばかりの白大理石の石灯篭が立っています。そこからすぐの北側に古色蒼然と した木造のお社があります。ここが八雲(やくも)神社です。
神代の物語から紹介します。伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が黄泉の国か ら返ってきて「けがれ」を祓うために川で「みそぎ」したときに、天照大神( あまてらすおおかみ)とともにお生まれになったのが素戔嗚尊(すさのおのみ こと)です。名の如く天性勇猛果敢な神様ですが、度が過ぎて天照大神は怒っ て岩屋に閉じこもってしまいます。暗闇になってしまって困った八百万(やお よろず)の神達は智恵と力を出し合い、無事に天照大神を岩屋からお出しする のですが、素戔嗚尊はその罪により高天原を追放されてしまいます。
雨の降るなか蓑笠姿で濡れそぼれて出雲の国に至り、人身御供になろうとし ていた奇稲田姫(くしなだひめ)を、八俣大蛇(やまたのおろち)を退治して 救います。大蛇の尾から出てきたのが草薙の剣(くさなぎのつるぎ)です。ち なみにこの剣は、日本武尊が東征の折に、この配志和神社の地まで来ているこ とになります。
素戔嗚尊は奇稲田姫をめとり出雲に居を定め、心すがすがしく「八雲立つ 出雲やえ垣 妻ごみに やえ垣作る その八重垣を」という歌を読みます。こ れが和歌の初まりといわれています。
以上のことから八雲神社は素戔嗚尊を祀る神社であることが分かります。ま た、牛頭天王(ごずてんのう)と習合されて御天王様(ごてんのうさま)とも 呼ばれます。祇園神社、八坂神社も御祭神は同じです。蘇民将来で知られる蘇 民祭はこの神様が高天原を追放されたときの故事に依るものです。
農林漁業、国土経営、除災、家庭円満、家業繁栄の御利益により、当地方は 勿論、全国各地にとても広く祭られています。
さて配志和神社の境内の八雲神社は、元は青葉町の御天王山にあった八雲神 社を移したお社です。この社の由緒は明かではありませんが江戸期の宝暦風土 記には、川原田の牛頭天王社として、年暦由緒不明の古い社として記載されて います。配志和神社の境内に移転後、地区民が心の拠り所が無くなって寂しく なったためでしょうか、再び配志和神社の八雲神社から元の地に分霊して祀っ たのが現在の青葉町の八雲神社です。
祭日は六月十五日で、月遅れの七月十五日前後に行う神社も多くあります。 神輿を担いで勇壮に巡幸する夏祭で、サラリーマンが多くなるにつれ担ぐ人が 少なくなり、車を利用したり、神社内での祭典として行うところが多くなりま した。何故かキュウリが付き物のお祭りでもあります。