八幡神社は全国的に非常に多く、村の鎮守といえば八幡さんといわれるほど多
く祀られています。全国の八幡神社の御本社は、大分県の宇佐神宮(宇佐八幡宮)
で、後に京都の石清水八幡宮として勧請されてから、全国的に広く信仰されるよ
うになりました。神仏習合色が強く、皇室の守護神、源氏の守護神、武家の守護
神として信仰されています。
御祭神は、応仁天皇が主神で、ゆかりの神を併せて祀る事も多々あります。
配志和神社の境内には二つの八幡神社が祀られています。一社は配志和神社本 社の鎮座している一画地に鎮座しています。古びて鞘堂(さやどう)に覆われて いますが、良く見ると木羽葺き流造りの格調高い作りです。残念ながら由緒は不 明です。軍国主義華やかなりし頃の名残でしょうか、武運長久の札が納められて います。
もう一社は、忠魂碑から南側の尾根に鎮座している古舘八幡神社です。神社脇 の由来碑によると、後土御門帝の明応年間(約五百年昔)に勧請されたものと推 察されています。宝暦風土記、安永風土記にも同社の記述があります。
今の山目中学校の場所は伏牛城といい、同校々歌にも臥牛が丘として詠まれて いますが、葛西家家臣の伏牛城主小岩駿河がこの地に勧請と言い伝えられていま した。昭和二十四年、同校の建設に伴い同校裏に移転鎮座しましたが、更に同校 の体育館新築に伴い崖の直上で危険になり、伏牛城主末裔の鈴木辰雄東大教授の 発起で再度移転を余儀なくされました。その移転地も祀るのに適当でなく、昭和 四十五年三月に現在地の旧野火番所跡に移転鎮座しました。
山目中学校脇から参道が続いていますので、生徒や先生方、また蘭梅山散策の 人達がよくお参りしています。
別当は伏牛城主末裔の鈴木家(中央町在住)で、現在でも奉賛会により九月( 旧暦八月)十五日には、神楽を奉納して例祭が行われています。