配志和袖社境内参道に入ると、北側に三宝大荒神社と掲額した社宮が目に入る。境内に建立されたものであるが、摂社、末社のいずれでもない。元は「鍛冶町」とも「川原田」ともにあったという。昭和二十三年の水害にて倒壊したので、心ある有志が協議の上、現在地に移築したものです。
東北地方における三宝荒神信仰は多岐にわたっておりますが、大別して三つに別れております。一つには「火を司る神」、二つには「土地を守る神」、三つには「牛馬を守る神」といわれております。当三宝荒神はその中のひとつ火を司る神として祀られたといわれております。
今から約三百年ほど前の正徳年間に、当山目に勝道という若者がいて、何とかして一人前の刀鍛冶になりたいと志し全国の刀鍛冶をまわったが、容易に受け入れてくれる師匠に巡り会えなかったが、濃州関(岐阜県)にて名刀匠兼道の門にて修業、長年の努力の甲斐あって遂に、相州伝の奥義を極める事が出来たのである。師匠からこれ以上教えることはない。郷里に帰って一層、技を磨くよう言われ、師の兼道から一字をいただき勝道と名乗るようになった。喜び勇んで郷里に錦を飾り、小坂橋付近に居を構え、炉をたて一隅に守護神として三宝荒神を祀ったのが始まりという。